院長ってどんな人?

Hello
院長写真
根本 章吾(ねもと しょうご)
  • 生年月日 1981年4月2日
  • 出身地千葉県我孫子市
  • 出身大学日本大学歯学部

院長に聞いてみました

現在のマイブーム
バイク、観葉植物、ギター演奏、行ける時にジムで20分ほど音楽を爆音で聴きながら走ること
好きなもの
蕎麦屋のカツ丼、麺類全般、バイク、ツーリング、観葉植物、猫、ジャージャー麺
苦手なもの
満員電車、人が密集している場所、長時間並ぶこと、絶叫系の乗り物、テーマパーク、極端に辛いもの
長所
誰とでも比較的自然に話ができること、相手の話に興味を持って聞けること、感情を引きずらないこと
短所
忘れやすいこと、熱しやすく冷めやすいところ、何かにハマると一気にのめり込んでしまうところ
16タイプ診断
ENFJ(主人公)
趣味、休日の過ごし方

晴れた日はバイクで走り、ジムやサウナに行き、家では本を読んでゆっくり過ごすのが好きです。
妻と出かけたり、小学校時代の同級生とツーリングに行ったりすることもあります。
時間が取れれば旅行、特に台北によく行きます。

ツーリング写真
学生時代のエピソード

印象に残っている出来事のひとつが、根管治療の紹介でお世話になっているマイクロエンド歯科の渡邉先生と一緒にモンゴルへ馬に乗りに行った時のことです。

これがなかなか過酷でした。ゲルに泊まっていたのですが、夏なのに夜は信じられないくらい寒く、「これは普通に命の危機では」と思うレベルでした。そこで薪の暖房をつけて、遠慮なく薪をくべ続けた結果、今度は一気に振り切れてサウナのような状態になりました。気づけば、夜中のモンゴルで「暑さで死ぬかもしれない」という、寒さでも暑さでも命の危機を感じる不思議な状況になっていました。

ただ、それでも外に出た時の景色はすべてを持っていきました。見たことのない星空が広がっていて、周りは一面の草原。何もなく、風だけが吹いているあの開放感は、本当に格別でした。日中はひたすら馬に乗っていて、2人ともお尻が限界を超え、「割れる」というより、もはや別の形になるのではと思うほどでしたが、どうにか5日間乗り切りました。過酷さも含めて、間違いなく一生忘れない体験です。

ツーリング写真
最近感動したこと
最近心を動かされたのは、さとうみつろうさんの『レイ』という本を読んだ時です。自分という存在は、他人がいるからこそ成り立っているのだと改めて感じ、とても印象に残りました。
また、朝ドラの中で、登場人物同士が言葉にしづらい思いを汲み取り合う場面にも感動しました。自分は普段、「言わなくても分かるでしょ」というようなコミュニケーションがあまり得意ではないので、余計に心に残ったのだと思います。

開業ヒストリー

保存修復との出会い

大学5年生の院内実習で保存修復科の先生についたことがきっかけで、それまであまり意識していなかった分野に強く惹かれるようになりました。実際に臨床に触れる中で、目の前の現象を構造的に捉えて原因を考え、それに対して介入していくプロセスが非常に面白く、自分の思考のスタイルにも合っていると感じました。

その後、大学院で保存修復科に進み、さらに外部研修にも参加する中で、マイクロスコープを用いた精密な治療に触れたことが大きな転機になりました。肉眼では見えなかった世界が一気に可視化され、感覚ではなく再現性高く治療を積み上げていけることに強く惹かれ、特にエンド領域を専門として追求していこうと考えるようになりました。

実習イメージ

はまわき歯科での勤務医時代

大学院修了後は、さいたま市のはまわき歯科に勤務しました。朝10時から夜10時まで、年中無休に近い形で診療を行う環境で働き、かなりの量の臨床経験を積みました。この時期に、「仕事とはこれくらいやるものなんだ」という基準が自分の中で形成されたと思います。

また、朝昼夜とさまざまな時間帯に来院する患者さんを診る中で、歯科がどれだけ多くの人にとって必要とされているのかを実感しました。単純な技術だけでなく、患者背景や生活まで含めて診る必要があるという認識に変わったことも、大きな転機でした。

この勤務医時代を通して、一番鍛えられたのは、仕事をやり切ることと、膨大な量の仕事でも一つひとつこなしていけば必ず終わるという感覚です。
それと同時に、「責任者は何があっても仕事を休むな」「責任者とはどう責任を取るのか」ということも学びました。この「最後まで仕事をやり切る」「責任を取る」というスタンスは、今も変わっていません。もちろん仕事量そのものは当時と今で単純比較はできませんが、仕事に向き合う姿勢の根本は今も同じです。

院内イメージ

開業後から現在まで

開業を決めたのは、大学院時代に「開業すればお金を稼ぎながら勉強もできる」という言葉を聞いたことがきっかけでした。当時は明確な理念や戦略があったわけではなく、とにかく前に進んだという状態です。
理想としていたのは、師匠と同じように自由診療をメインにしながら高価値の医療を提供する医院をつくること。フルスペックのマイクロスコープやCTを揃え、自費の根管治療を中心とした医院を立ち上げました。「質の高い医療を提供すれば患者さんは来る」と、本気で信じていました。
…ところが、現実は全く違いました。患者さんは思うように集まらず、経営は一気に悪化し、倒産寸前の状態にまで追い込まれました。
一番つらかったのは資金繰りです。みるみる資金がなくなっていくことに、本当に恐怖を感じました。「こんなはずじゃない」という思いと、自分自身の能力の低さを嫌でも直面させられる感覚がありました。

勤務風景

予防歯科への方向転換

どうにもならなくなった時に思い出したのが、開業前に出会っていたエンド専門医の渡邉先生でした。相談した時に言われたのが、「予防歯科、向いているかもしれませんよ。やってみたらどうですか?」という一言です。正直、その時は全くピンときませんでした。ただ、その言葉を信じるしかない状態でもありました。

予防に切り替えた後も、すぐにはうまくいきませんでした。治療を希望して来院した患者さんに予防の話をすると強い反発を受けることも多く、周囲からも「何をやっているんだ」と言われ続けました。当時の自分は子どもが苦手だったにもかかわらず、親子予防や口腔育成に取り組もうとしていたため、「頭がおかしくなったのでは」と言われたこともあります。

勤務風景

それでも続けられたのは、「他で失敗した以上、もう予防をやるしかない」という気持ちがあったからだと思います。それ以外に何をやればいいのか分からず、思考が止まっていた。かなり追い込まれていましたが、「もうこれでやっていくしかない」という一念だけで続けていました。

続けていく中で、患者さんの口腔内が変わっていくこと、治療を繰り返さない状態が生まれていくことを実感するようになりました。そして徐々に確信へと変わっていきました。
自分が追求していた「精密な治療」よりも、「そもそも治療が必要にならない状態をつくること」の方が本質的なのではないか。予防は、歯科医院に来ている時間だけで完結するものではなく、患者さん自身の行動変容がなければ根本的な解決にはならない。患者さんの背景や生活まで含めて寄り添い、どうすれば変わってもらえるかを考えることが、医療の本質なのだと気づいていきました。
こうして、専門としての軸を予防へと移していきました。

あの失敗や遠回りがあったからこそ、今自分が持っているものがあると感じています。経営者としての考え方、スタッフとのコミュニケーション、組織の構築、標準化の方法、そして自律的に動くスタッフたち。今あるものはすべて、あの経験があったからこそだと思っています。
今は「予防を文化にする」という理念を軸に、関わる人全員が良い状態でいられる職場をつくることを目指しています。そのために特に大切にしているのは、自分自身の状態です。院長の影響力は大きい。だからこそ、できるだけ機嫌の良い状態でいること、その状態を自分で管理し続けることを、日々意識しています。

院長からご挨拶

院長写真

ここまで読んでいただきありがとうございます。これも何かのご縁だと思っています。一緒に働くことになるかどうかに関わらず、この文章のどこかが、読んでくださった方の人生に少しでも良い影響を与えられたら嬉しいです。
もしご縁があって一緒に働けるのであれば、こんなに嬉しいことはありません。一緒に関わりながら、お互いに良い影響を与え合える関係になれたらと思っています。

Recruit

募集要項・エントリー

給与や勤務日数などの詳しい勤務条件は、募集要項をご覧ください。

歯科助手・保育助手の求人

歯科助手・保育士(OETグループトレーナー兼務)の求人